妻と男の物語


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2年前、それから19

[3692] 2年前、それから19 忠太郎 投稿日:2008/04/14 (月) 21:28
〔バージン〕
木村の別邸はいよいよ仕上げの工程に入っていた。6ヶ月掛かったことになる。つまり、典子がいなくなってから半年ということだ。
健次も、愛には典子の代わりは無理だろうとは思ったが、そうは言っても人手が足りないので、仕方なく、愛を現場に連れて行くようになった。雰囲気に慣れさせようと云う程度のつもりだった。
ところが順応性があるというのか、愛は直ぐに雰囲気に溶け込んだ。健次にとっては以外だったが、彼女の履歴書に“特技・空手二段”とあることに気がついた。男の中にいるのは子どもの頃から慣れていたのである。

典子ほど仕事のことは解らないが、教えると呑みこみは早い。それに、何かあると職人や親方連中にでも平気で訊いていく。色白のぽっちゃりした可愛い娘から訊かれて、気分の悪い男はいないだろう。
職人たちは競って彼女に教えたがった。
面白いことに、愛は、自分でもよく解っていないのに、図面と見比べながら相違点を見つけると
「親方、これではあかんやないの……」
と、京都弁でやるのである。京都弁独特のイントネーションで言われると、ずばり言われても、関東の人間には、あまり、きついことを言われたと云う感じはしないものだ。
現場での存在感と云う意味では、愛は、立派に典子の代わりを務めていた。

健次の現場では、出入りの親方たちも馴染みの人がほとんどなので、現場でのトラブルは全くといってよいほど起きたことがない。ところが珍しく、若い職人が、ちょっとしたことで触発寸前の状態になったことがあった。親方連中が傍にいればよかったのだが、生憎、若い者だけが集まっていたので、止めに入る者もいなかったのである。
そのとき、通りかかった愛が“止めなさいよ!”と、止めようとした。が、茶髪の兄ちゃんが
「うるせえ、女の出る幕じゃねえ、引っ込んでろ!」
と、愛を一喝した。愛の顔が、キッとなった。表情の判りやすい娘である。
愛は、その茶髪の兄ちゃんのところへ歩み寄ると、横っ面をバシッと張り倒した。殴られた本人も、喧嘩していた相手も周りで見ていたものも、意外な成り行きに、キョトンとした表情で口を開いたまま、一瞬時間が止まった。
「あかんよ、けんかしたら……」
愛の京都弁の一言で、喧嘩は治まった。

健次には、愛からの、その喧嘩仲裁の報告はなかったが、殴られた若い衆の親方が謝ってきたので、翌日に判った。そのことを健次は、愛に対して何も言わなかった。
若い職人たちは愛のことを、尊敬を込めて“姐さん”と呼ぶようになった。愛が朝、皮のつなぎを着てバイクで颯爽と現場に乗りつけると、若い連中がいっせいに“おはようっす”と挨拶する。
愛もヘルメットを外しながら、“おはよう!”と元気よく挨拶を返す。現場の雰囲気に、刺々しいものがなくなった。

その日は、駐車場のことで、外構工事を担当する親方から使用する材料の問い合わせがあった。
健次は、忙しかったので、愛に電話で材料の件を連絡するように指示した。
「砕石はリサイクルでいいけど、合材はバージンを使うように言っとけ」
「え、バ、バージンですか?」
愛は土木の事はほとんど知らない。いつもは物怖じしないで何でも訊いてくる愛が、珍しく、恥しげに
「あの、所長、バージンて何ですか?」
その訊いてきた様子が可笑しくて健次は、噴出した。愛は、ムッとした表情で
「どうして、可笑しいんですか」
と絡んできた。健次は必死に笑いを堪えようとしたが、我慢できなかった。この間も
「ネコもってこい」
と言ったら、近所から猫を捕まえてきた。ネコとは一輪車のことだ。
「いいから、親方にそう言え、そう言えば分かるから」
愛は、ふくれっつらをしながら電話をしにいった。後で、土木用語辞典を引いたが載ってなかったらしいが、もう一度、健次に訊こうとはしなかった。おそらく典子にでも電話で訊いたのであろう。

その夜、帰宅すると裕子が
「パパ、愛ちゃんにセクハラしちゃダメよ!……」
「なに、言ってんだよ。そんなことしてないよ……」
「体を触るだけじゃなくて、言葉のセクハラもあるのよ……」
健次は、裕子のいっている意味が解らなかったが、それがあの“バージン合材”の話だと判り、また可笑しくなった。
そのことは典子から裕子に電話があり、それを聞いたのが裕子だから、話はややこしくなる。とうとう、セクハラ事件になってしまった。
「今日は、あたしの誕生日だから、明日は現場、お休みでしょ」
「うん、休みだよ」
「愛ちゃんも、くるように言ってあるから。三人で呑みましょ」
「呑みましょって、おまえ、コップ一杯で酔っ払うのに、よく言うよ」
そんな時に、丁度、愛がバイクでやってきた。
「こんばんは!」
「あ、いらっしゃい~、あがって」
愛はちょっとしたバックを持参していた。裕子から泊るように言われていたのである。
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