妻と男の物語


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私の足元で…40

[Res: 2035] 私の足元で…40 わくわく 投稿日:2007/06/24 (日) 19:23

結局その夜は、私のペニスは形を整える事無く、早紀を喜ばすには至りませんでした。
「ねえ…。
なおの家族で、糖尿病の人いる?」
「いないよ。
どうして?」
「糖尿病になると、勃起障害になるんだよ…。
家族の人にいなくて、今のなおの体形なら、1型も2型も当てはまらないね」
看護婦を目指してますから、医学的検知から私の状態を分析しているのでしょう。
「精神的なストレスも、要因のひとつって言うけれど…」
と、自分で言っておきながら
「えっ!」
「どうしたの?」
「ううん。
なんでもない…」
この時のえっ!が、後々の重要なキーワードになるのですが…。

そのまま寝入ったふたりです。
私は、途中何度も目が覚め、寝ている早紀の身体をまさぐりますが、やはり私のペニスに変化は表れませんでした。

翌朝、早紀は6時半に目を覚まし、帰り仕度を始めます。
いつもなら、早紀が朝早く帰る時は、私は布団の中で見送るのですが、この時だけは起きて駅まで見送りに行きました。
なんだったら新宿…、いや、早紀の家まで送り届けたい気持ちでした。
もしかしたら、これで最後になるのかも知れない…。
そんな恐れがあったからです。
ドアが締まる時、早紀の顔は寂しそうでした。
何かに怯えていた、と言えるかも知れません。
私は、早紀の乗った電車が小さくなるまで、ホームで見送っていました。
(桜井に会いに行くのではなく、本当に家に帰るのであって欲しい)
そう願いつつ…。


さて、結論から言うと、早紀はこの日桜井に会い、身体を合わせています。
最初は拒んだようですが、やはり桜井の巧みな進め方に抗うことが出来ずに、結局寄せる快感に翻弄されたようです。
なぜそれを知ることが出来たのか…。
それは、また後で書きましょう。


あの夜から、私は早紀と桜井に疑いを抱きつつ、切り出せないままふたりと付き合いを続けます。
早紀と会う回数は、以前とあまり変わらないように思います。
桜井の態度も、特に敵意を感じるとか、そう言うものはありません。
変わったと言えば、私のペニスが、あれ以来起たなくなってしまったと言うことです。
早紀は、それを気に掛けているようですが、彼女を抱いて満足させられない状況でも、私と別れようとは思っていないようです。
いやそれは、桜井とのSEXで満足を得ているからとも取れますが、それなら私といつまでも付き合う必要があるでしょうか…。

そんな流れの中、幾つかの出来事が起きます。
12月半ばから終わりにかけて、桜井は会社を辞め実家を継ぐためにいよいよ大阪に帰ると言うのです。
そして私には、11月半ばから1月半、つまり12月一杯まで、中国地方の現場への出張の話が持ち上がります。
あるプラントの工事の進捗が思わしくなく、遅れを取り戻すために現場監督のサポートをして欲しいと言うのです。
最初は引き受けてくれるかどうかの打診程度のもので、急な話と、早紀と桜井の関係に不安を抱いていた私は一旦断りますが、その内業務命令となり出張は本決まりとなります。
出張に出る前、仲間が壮行会を開いてくれましたが、その際桜井と、これが最後になるかもと、思い出話などを募らせました。
「元気でな」
「桜井さんも」
結局私は、桜井に対し、何も言うことが出来ませんでした。

早紀個人もお別れ会を開いてくれましたが、東京駅から寝台車での出立、深夜になるため流石に見送りはしてもらえませんでした。

朝駅に着くと、監督補佐として前から赴任していた上司が迎えに来てくれ、その足で現場に向かいました。
初日は、安全教育や挨拶その他もろもろで終わり、夕方には定宿となるビジネスホテルにチェックインです。
翌日からは、遅れた工期を取り戻すための派遣ですから、聞かされていた以上のプレッシャーが待ち受けていました。
出張の話を持ちかけられた時の条件は、週休1日、勤務は8時半から18時半と言う話でしたが、実際は1月半の間一切の休みもなく、勤務は8時から21時、22時と言うものでした。
当初こそ疲れと緊張のあまり、現場から帰ると風呂に入るのも億劫ですぐ寝入っていましたが、慣れてくると牡蠣の美味しい店に繰り出す余裕も出てきました。
現地で親しくなった人から誘われ、週末にはピンサロに通うようになります。
数回通う内、付いてくれた30代の女性と親しくなり、彼女の方からベッドに誘われます。

『以前美人局的なことがあり、ピンサロの女性と寝た後怖い旦那が出てきて、慰謝料として300万払わされ、会社も辞め、離婚せざるを得なくなった社員がいた。だからみなも女性問題には十分に気をつけるように』
それが、着任早々の、安全教育より重要な、下半身の注意事項でした。

私も当初は警戒していましたが、彼女はそう悪くも見えず、また、早紀以外の女性なら可能なのだろうかと、ついには彼女と肌を合わせてしまいます。
その時は、ペニスは立派に形を整え、いつもならコンドームを使用するのに、
「私を、信用して」
と、彼女の求めるまま生で挿入し、中で射精してしまいました。
早紀に後ろめたさを感じながらも、今頃は桜井と愛し合っているかも知れないと、彼女との関係は私が帰る間際まで続きました。
密会の場所は、深夜のビジネスホテルです。
ホテルの客は、ほとんどが同じ会社の人で、各営業所から派遣された寄せ集めです。
受付には親父がいますが、11時頃には奥の部屋で寝てしまい、女性の連れ込み禁止令は形ばかりで、みな上手いようにやっていました。
彼女とのことですが、怖い旦那が出てくるわけもなく、ちょっとした恋愛感情に陥り、分っていたとは言え別れにふたりとも心を切なくさせたのも事実です。

そんなことがありながらも、早紀とは、時々、連絡を取っていました。
八千代の家の電話を借りてです。
現場も、毎日帰りが遅いわけではありません。
「明日は、特に問題がなければ18時半には帰って良い」
と事前通達されるので、その日は八千代の自宅に電話を入れて、早紀に伝えてもらうのです。
八千代の両親は、店を経営していて帰りは遅くなります。
早紀は、私が電話できる日に八千代の家に来て、30分ばかり私と話をするのです。
そう言うことが、1週間に1度はあったでしょうか。
関東と、中国地方ですから、電話代は相当掛かりました。

そして後1週間で東京に帰れると言う時に、早紀からある申し出があります。
いえ、辛い話ではありません。
早紀の叔母が、正月休みを利用して叔父を伴い実家に帰るため、年末年始を入れて5日ほど不在にすると言うのです。
叔母の実家と言えば、早紀の母親の実家でもあり、早紀も同伴を誘われましたが、理由を付けて断ったそうです。
叔母の子ども、早紀のいとこは、関西の大学に入っていて、なんでも正月はスキーに行くとかで里帰りはしません。
正月の叔母の家には、早紀ひとりです。
もし、良かったら叔母たちが留守の間、泊まりに来ないかと言う誘いです。
もう私は、天にも昇る気持ちでした。

そして、桜井が実家に戻ったと言うことも、会社の人から聞きました。
正式な退職は年明け1月の絞め日、桜井が実家に戻ったのは今年も1~2週を残してのことですが、今まで溜まった有給休暇があり、それを利用してのものでした。

(と言うことは、早紀はさらわれなかったんだ…)
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