妻と男の物語


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私の足元で…42

[Res: 2035] 私の足元で…42 わくわく 投稿日:2007/06/26 (火) 22:17
ピンサロ仲間のおっさんの好意により、倉敷案内が始まります。
初日は、美観地区やアイビースクエアなど、昼食は、今もあるのでしょうか、うどん大学と言う店でした。
そばよりうどんと言う土地柄だけあって、やはり関東で食べるうどんよりも格段美味しくて、夜も同じ店に行きたいとねだり、おっさんの郷土自慢を満足させたようなものでした。
その後は、あまり乗り気じゃない私を無理やりピンサロに引っ張って行きます。
現場の舞台になった片田舎のピンサロと、倉敷のピンサロのお嬢さんの格の違いを見て欲しいと、一日でも早く早紀に会いたい私に取ってはどうでもいいことですが、素面でもピンサロで楽しめるおっさんにとっては、重要なイシューだったのでしょう。
その晩は、延長延長でふたりで4~5万は使ったでしょうか。
無理やり引っ張ったからと、お金はおっさん持ちです。
私も、給与と出張手当、それに賞与と併せてかなりの額が銀行に振り込まれていて、幾らかでも出そうとしますが、客人にはお金の負担をさせちゃならねえ、と昔の渡世人のようなことを言って受け取ってくれません。

翌日は、後楽園岡山城、総社市など少々遠出します。
なんだったら山に入り、美作まで足を伸ばせば温泉宿とストリップ小屋がある。
それが嫌なら、佐多岬に行って、夕日か朝日を拝んで東京に帰るか?と、エロさに似合わず情緒あることも言います。
もちろん、それらを真に受けて実行していたのでは、いつまで経っても早紀に会うことが出来ません。
丁重にお断りすると、今度は親戚の家に電話をして、
「今から向うけれど、例のもの出来てる?」
などと、言っています。
お邪魔すれば、ままかりが用意されていて、普通のままかりを美味しい美味しいと言って食べた私を見て、彼言うところのもっと美味しい、焼きままかりの酢漬けが出来上がっていたのです。
「こいつ、ぐしい奴での…。
現場では、どえりゃあ苦労したで」
「これこれ、お客さんに向って失礼だよ」
「おっつ、もう食べ終わったか?
どうじゃ、普通のより美味しいジャロ?
んな、ごちそさん。
近い内、また来るで。
おい、帰るでえ」
終始、こんな調子です。
その日も、美味しいものをご馳走になり、遊びには行かずに彼の家でちびりちびりと酒盛りです。
なぜなら彼は下戸ですから、私一人で手酌酒です。
若い頃、彼と弟を残して両親が亡くなったことなどを聞いて、しんみりします。
人には、色々な人生模様があるなあ…、などと思いながらふたりは眠りにつきます。
そして朝になり、いよいよ帰郷の日、ホームまで見送りです。
キヨスクでなにやら買い物をして、大きな袋を
「ほいこれ。
彼女と、一緒に食べてチョ」
と、中を見れば編み笠の様なものに入った一尾の大きな鯛です。
塩焼きでしょうか、これだけで1万円と言うことは、先ほど売店で確認しています。
「そしてこれは、電車の中で食べて」
と、岡山名物祭りすし。
「ワインもね。
後は、ままかり。
やきままかりは、パック詰めできんのじゃ。
日持ちせんから。
また、出張に来いヨ。
いや、遊びに来るんでも良いぞ。
電車賃くらい、わしが出すけぇ」

現場で知り合い、一緒に仕事をして一月半。
これほどまで暖かく見送られるとは、思ってもいませんでした。

相手が男ながら、後ろ髪ひかれるとは正にこのこと、新幹線に乗り座席に荷物を置いてデッキに戻り、発車の間際まで話をしていました…。

いよいよ出発です。
男ふたりの、色々な思いが引き離れて行きます。

彼とは、それ以後十年ほどやり取りをしました。
彼が東京に来た時、今の家内が会いましたが、苦手なタイプと次第に音信が途切れてしまいました。
とは言え、彼の動向は、私が会社を移ってからも、知人から伝え聞いています。
元気だそうですが、いまだに独身を貫き通していると言うことです。
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