妻と男の物語


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悪魔のささやき25

[5180] 悪魔のささやき25 ナオト 投稿日:2008/11/12 (水) 19:53
大手食品メーカーのクリスマスキャンペーンの概要をディレクターの高橋が説明している。
会議の席には貴彦の他、企画部長を始めスタッフ十人ほどが耳を傾けていた。
「それでは顧客リサーチの資料について、佐々木さんからお願いします。」
高橋が貴彦の名前を呼ぶ声にすら、気が付かなかった。

朝から貴彦の頭の中は真由香と矢崎のことで占領されてしまっている。
すでに賽は投げられたのだと何度も自らに言い聞かせるのだが、時間が経つにつれ「今なら間に合うのでは」と心の声が叫ぶのである。
さっきから携帯を握り締めて、真由香の携帯番号を表示させている貴彦であった。
「佐々木さんっ」
ふと顔を上げると、全員が怪訝そうに貴彦を見つめていた。


ビルを出て、二人は夕方の新宿を歩いていた。
矢崎はカーキ色のパンツに、黒のシャツの裾をだらしなく外へ出して、足元は今日もサンダルだった。
真由香は水商売風の女性にはとても見えず、矢崎と並んで歩く姿は実に不釣り合いな感じで、時々通り過ぎる人が振り返った。
路地を少し入ったところの、ひなびた小さな寿司屋に二人は入った。
カウンターと狭い座敷席だけの店内には、痩せて頭の剥げた職人が一人いるだけだった。

「オヤジ、二階空いてるな?適当に握ってくれ。あと、生を二つな。」
「へい。」
古色蒼然とした店の雰囲気に、真由香は自分が悪夢の中を彷徨っているような錯覚さえ覚えるのだった。
ギシギシと音をたてる古い民家のような階段を上ると、四畳半ほどの部屋に丸いテーブルがあり、部屋に似合わないサッシの窓から、遠くに都庁ビルが少しだけ見えた。

「どうしたんだい、いつまでも突っ立ってないで、座りなよ奥さん。」
脅えた表情で立ち尽くす真由香にそう言うと、矢崎はどっかとテーブルの前にあぐらを組んで座り、マルボロに火をつけた。
真由香は部屋の隅に、腰をかがめてようやくしゃがむのだが、腰を下ろすまでいかないほど、緊張している様子だ。
「そんな隅っこにいないで、こっちこっち。」
矢崎がニヤニヤしながら、テーブルを叩いて手招きする。
いつまでもじっと見つめている矢崎に堪えかねるように、真由香はようやくテーブルの前に座った。

悲哀に満ちた真由香の表情を覗き込むようにしながら、矢崎は念を押すように言った。
「奥さん、分かってるな。俺はあんたのために500万払ったんだ。
それを一晩で忘れてやると言ってるんだ。今日一日は俺の妻になってくれなきゃ困る。」
俺の妻、という言葉に真由香の表情は引きつり、憎悪に歪んだ瞳を矢崎に向ける。
反抗的な眼差しを楽しむかのように、矢崎は続けた。
「なんだ、まだその気にならないのか?やめるか?
この携帯でいつでも旦那にメール出来る。見てもらって正直に話すか。」
真由香は、はっ、とした表情になり「ま、待ってくださいっ。」と声をあげた。

昨日一日、いや今日もギリギリまで真由香は考えた。全て正直に貴彦に話せば分かってくれないか。
カウンセリングと言われて、こんな写真を撮られた、、そう言えばいいではないか。
他人から見ればきっとそう思うだろう。
しかしこれは、貴彦と愛を育んできた、たくさんの思い出を作ってきた真由香にしか分からない感情だ。貴彦ならおそらく許してくれるだろう。
それでも、彼の心の中で、自分という存在が変わってしまうのが恐かった。
どんな理由があれ、あんな写真は貴彦にだけは見られたくない。

階段からギシギシ音が聞こえ、「失礼します」とビールを持ってさっきの店主が入ってきた。
刺身と生ジョッキを置くと、陰気な声で「ごゆっくり」と出て行く。
「もう一度聞くが、今晩は俺の妻になれるか、どうなんだ?」
真由香は俯いたまま、唇をかみ締めるようにしている。
しばらくの沈黙の後、真由香は消え入るような声で言った。
「、、なります、、。」
矢崎はようやくひとつ目的を果たしたように、細い目をさらに細くして黄色い歯を見せる。
「口ばっかりじゃなく、あんたの態度次第ではすぐに契約を打ち切るからな。
それが嫌ならしっかり心入れ替えることだ。」
絶望的な気持ちで真由香は矢崎のダミ声をぼんやり聞いていた。

まずは乾杯といこうや、とジョッキを手に取ると真由香を促す。
震える指先で何とかジョッキを持つと、「奥さんから音頭取ってもらおうか」と意地の悪い言い方をする。
何も言えず黙っている真由香に、
「ほら、ビールがぬるくなっちまうだろ、二人の夜に乾杯、とか何とか。」と笑うのだ。
怖気の震う言い草に、しょうがなく小さな声で、
「乾杯、、」とジョッキを合わせた。
矢崎はゴクゴク喉を鳴らしてビールを流し込むと、
「ここの店は汚ねーけど、なかなかいけるんだ。」と刺身をつまみながら、
「真由香も遠慮なく食え。」
と初めて呼び捨てにした。
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